自分の意思とは反する差別は是か非か

突然ではあるが、ボクには唯一そして超がつくほど大好きな
サッカーチームがある。それはオランダリーグの名門
AJAXアヤックス)である。AJAXはもしかしたらボスマン判決の影響を
最も受けたチームかもしれない。
少なくともボスマン判決以前は最強チームの一つであったはずだ。
そんなAJAX、最近はめっきり欧州の舞台に登場する機会が減って
しまったが、若くして才能溢れる選手が多数所属しているのは今も昔も
変わらない。
そんな若手選手の中でも、ボクが大好きなのが
クラース・ヤン・フンテラールというFWの選手である。
ちょうど今日、そのフンテラールのユニフォームを買おうと思って
AJAXのオフィシャルページのオンラインショップにアクセスしてみた。
ユニフォーム代は約90ユーロ、配送料が15ユーロで買うことが出来るんで、
さっそく買おうと思って必要情報を打ち込むことに。昨年ヨーロッパに
旅行した時には事前にオペラやらクラシックコンサートやら、
そしてAJAXの試合やらを日本から現地のホームページにアクセスして
予約を取ったものだが、その時もわけの分からない
ZIPCODEやらStreet Numberやら日本はあまり存在しない
Housenumberとやらの入力に苦労したものだが、今回もわけの
分からない記入欄に苦戦↓
しかし、何とか記入し終わって、あとは決定ボタンを押下するだけ!と
言う時に、そう言えばいま1ユーロって160円だよな…とふと冷静に
なってしまった自分が↓ ボクが何回かヨーロッパを旅行した時はいつも
1ユーロ130円くらいだったので、その感覚でいたのですが、実は今は
160円なんですよね。約13000円くらいならば買おうと思ったけれど、
16000円は払えないと思って断念しました。

日本を代表する企業の多くが輸出企業のため、日本経済のためには
円安は歓迎されますが、ボクの財政のためには円高が歓迎だなと感じました↓
今年の秋口にヨーロッパ(ポーランドウクライナの予定)に
1週間ちょっと旅行する予定なので、円高にならないかな…


さて前置きが長くなりましたが、今日のタイトルである
「自分の意思とは反する差別は是か非か」
と言うテーマについて書きたいと思います。最近は沢尻エリカに絡んだ
話題しか書いていない気がしますが、今回も沢尻エリカ関係です。
というのも、これは先日日記でも紹介した【手紙】と言う映画を見て
凄く感じたテーマだからです。

多くの人は「差別はいけないことだ」と考えていることでしょう。
ボクのその一人です。
ボクは学生時代に海外を一人で回っているうちに気付いたことが
ありました。それは「みんな等しく人間で、みんな必死で生きているんだ」
ということでした。日本では、多くの人がイメージする「一般像」から
外れた人たちは、稀有の目で見られてしまう傾向があると感じています。
あまり関わりたくないと…
でも、海外では違いました。ナポリでは物乞いの人と街を歩いている人が
普通に話していたし、イタリアやハンガリーでは電車の中で
アコーディオンを引きながらお金を集めている人たちに普通にお金を
上げていました。
日本では考えられない光景だと思いませんか?別に、これだけで海外では
日本より差別が少ないだとか、寛容な心を持っているだとか言うつもりは
ありませんし、言うこともできないと思います。だけど、全ての人に
人権が与えられていると言うことをきちんと理解しているのは外国に
軍配があがることだけはいえると思います。
そしてそれ以来、ボクはできるだけ自分の心の中に芽生えそいま差別の
芽を摘むように心がけてきました。世間一般よりは、自分は全ての人を
きちんと人として捕らることができる人間であるという自負もあったつもり
でした。しかし、その思いはこの映画を見て崩れ去りました。

ボクのアプローチの仕方がそもそも間違っていたのだなと… 
アプローチの仕方と言うのは、ボクは
「この人は▲▲の部分が一般の感覚とはずれているな」→
「でも、だからと言ってボクは違った視点でその人を捉えることはしない」
というやり方でした。
でも、そもそも「一般とずれているけど、違った視点で捉えないようにする」
という気を遣っていることが【差別】だったのかなと。
「一般とずれている」という「一般的なこと」なんて本来存在しないはず
なのに、「一般的なこと」と勝手に形成されていった論理に反するだけで、
「一般」とは違うと否定しまう心がそもそも差別なのかなと。

でも、これは生きている以上は仕方ないことなのかなとも思ってはいます。
そこで、このように「普通の人とは違うんだ」と思ってしまう心が是か非か
というのが今日のテーマである「自分の意思とは反する差別は是か非か」
ということです。
例えば、手紙の映画を例に挙げるとすれば、仮に殺された緒方さんの息子と
知り合いだったとしましょう。おそらく、殺人事件をきっかけに緒方さんの
息子との接し方は変わってしまうのではないでしょうか。
自分としては気を遣っているだけなんだけど、でもそれは普通の人と
違うからということを認めているからこそである…
自分は悪気がないところで行ってしまっている差別は是か非か…

先ほどのケースだと気を遣っている人も遣われている人もきっと疲れて
しまうことでしょう。「一般とは違う」なんて心が芽生えなければ
お互い疲れることはないだろうに…
でも、現実を見れば認めるしかないんでしょうね。人はどうやっても、
人との違いを認識してしまう生き物だとおもいますから。もし、そんな
違いを違いとして捉えずに、あくまで純粋な個性として捉えるように心に
なったならどんな幸せな世界が待っているのだろうとも思いますね。こ
れが、まさにジョン・レノンのイマジンの世界なのかな…


今日のテーマに対してはホントは否なんだけど、是といわざるを
得ない…そんな煮え切らない結論を出すしかないんでしょうね。

以上、結局何が言いたいんだ!って内容ですけど、2月4日の日記を
終わります。