復活するためには死ななければいけないのか

ボクが一番すごいと思っている野球選手の松坂が言っていたことがある
(ちなみに尊敬しているのは巨人の桑田)。


「復活という言葉は使いたくありません。だって一度死んだって事ですから」


うろ覚えではあるが、これは確か松坂が怪我で苦しんでいたシーズンか、
その次のシーズンが始まる前に言っていた言葉である。


すごいこの言葉には一理あると思う。復活って事は以前の状態から落ちて
そこから這い上がったということになるから。
落ちた状態を「過程」と捉えずに「結果」と捉えることになるから。


最近で、個人的に大復活劇だったなぁと思うことは歌手のマライアキャリー
である。今世紀は1990年代に残した彼女の実績からすると全くもって
振るわなかったと思うが、昨年リリースしたアルバム
「The Emancipation Of Mimi」および、この
アルバムからのシングル曲で信じられない復活劇を遂げた。


個人的に「復活」という言葉は好きだ。一回落ちたところから這い上がるのは
環境的にも精神的にもとても困難なことだと思うから。
より一層の自分への厳しさ、妥協の無さが求められると思うから。
一度落ちた環境のぬるま湯に自分を慣らすことなく頑張ることは大変なことの
はずだ。大相撲でも一度三役から陥落したり、幕内から十両に陥落したり
すると、もとの位置に戻ってくることはとても大変なことのように見える。


だから、ボクは復活が好き。そのときの自分の状態が「ベストのときより
落ちてるなぁ〜」って思ったら「おれは復活するんだ」って自分に
言い聞かせて頑張る。
巨人軍の桑田投手にも復活して欲しいと思っている。


ここで、先ほどの松坂投手の言葉だ。
復活したら一度死んだことを認めることになるのか…?
松坂はボクが大好きな野球選手だけど、この松坂の言葉には異を唱えさせて
もらおう。


復活。それは自分が落ちたことを認めたくない、また認められないから
復活することが必要なのである。
「自分はこんなもんじゃない、この程度の器じゃない」
だから復活するのである。