考えを支配する、見えないけど大きなもの

初めにお断りしておきますが、今回の日記で出てくる身体的特徴に
関する表現は、差別的な意味は全く含んでいませんので、ご理解のほどを。


さて、今日ふと思い出したこと。それはもうすでに2ヶ月前になるのだが
友人とオーストラリアに行った際に、シドニーで友人がバスの中で言った
「外人って、はげてたり太っていてもさまになっているよね」
というような発言。この時に展開したボクの考えを、一度この日記に
記してみたくなったので、このことについて書く(←たいした意見では
ありません、ごくごくあたり前の意見ですが…)。


なぜ、外人の場合は頭髪が薄かったり肥満体質であっても、われわれ日本人
の目には違和感なく映るか。むしろ、さまになっているようにすら感じる。
ボク自身も、そのような外国人に対して全く違和感を覚えない。
しかし、それが日本人であったときに、外国人に対して感じるそれと
同じかと言われると、それは疑問であるといわざるを得ない。


では、なぜわれわれ日本人は外国人に対してこのように感じるか。
それは、きっとまったく先入観がないからだろう。ボクたちの頭の
中には、「日本人」のイメージが植えつけられている。だから、
そのイメージとずれるような特徴を持った人を見ると、違和感を
覚えることになるだろう。だけど、ボクたちは外国人に対して
「外国人」という確固たるイメージはない。だから、見かける外国人に
対して、先入観なく、いま自分が見ているそれが普通なんだと思うことが
できる。


つまり、人間の考えって言うのは先入観によって大きく変わるもので
あるといえる。これは常識であり、あえて日記でデカデカと取り上げること
でもない気がするが…


よく
「先入観を取り除いて考えなさい」
とか言われることがあるかもしれない。ボクも、物事を判断するときは
「先入観を持たず、できるだけ頭を無にして」
と意識するが、たぶんできていない。もし、できているとしたらそれは
上っ面の先入観を排除できているだけであって、自分の考えの全てを支配
してしまうような、根幹に根付いている先入観を排除することは不可能に
近い。ボクに、
「一般的な日本人」
についてのイメージを持つなと言っても、絶対に頭のどこかではイメージ
してしまう。


そう、だから人の考えって当てにならないかもしれない。
だって、何が
「普通」
なのかすら、本当はだれも知ることはできない。
「普通」
って概念を考えてしまうこと自体が馬鹿馬鹿しいような気もする。


「自分の考え」って、自分が信じることができる唯一のものって考えている
人も少なくないと思うけど、自分の考えほど当てにならないものってないの
かもしれない。