なぜ人は「生きる」のか

サンマルコ寺院(ヴェネツィア)

ライブドアが大変なことになっているようで…


そんなライブドアの社長はもちろん堀江貴文
さん。彼が正月のテレビ特番で
言っていたことがありました(今田耕司とか東野幸治とか小倉優子とかが
出ていて、朝青龍とかがゲストで出ていたやつです。堀江社長は温泉の
シーンで出てきました)。
それは、「再生医療のビジネスに注目している」的なことです。


再生医療」という言葉は最近ではよく聞きますよね。再生医療とは
簡単に言ってしまえば、疾病や事故により失った組織や器官を再生し作り
直す医療技術のことだそうです。


「なんだ〜、この技術が進歩したら将来か陥ってしまうかもしれない
大きな病気でも治るようになるんだ」
なんて思う人も多いでしょう。そして、世界の数々の国でこの再生医療
発達させるべく様々な研究が必死に行われています。


堀江社長も前述のテレビで「心臓が何個もあったら困らないですよね」的な
ことを言っていました。確かにそうかもしれません。
でも、果たして本当にそうなのでしょうか。
もし、再生医療でどんな臓器でも再生できるようになってしまったら、
「不老不死」は無理でも「不死」に近いことが現実的になってくる可能性も
大いにありますよね。筋肉の細胞とかも再生できるなら体力的な衰えも
どうにかなってしまうのかもしれません。


もし仮に、現在よりも大幅に寿命が伸びて、そして何歳まででも生きていられる
ような世の中になったらどうでしょうか?そんなことを可能にする技術を人々は
「夢の技術」と賞賛するのでしょうか?


人ってなぜ生きることに価値を見出すんでしょうか。なぜ生きようとするので
しょうか。それは「いつかは死ぬから」じゃないでしょうか。
いつかは終わってしまうから、生きれるんじゃないでしょうか。


だから、もしいつまでも生きられるようになったら、「生きる」という
価値が無くなってしまい、極端に言えば「死ぬ」という価値に注目が
いくようになるかもしれません。少なくとも、不死になれば「死なせてくれ」
って希望する人で溢れる世の中になるでしょう。


たしかに、再生医療によって現在重病に苦しんでいる、もしくは今後病に
かかる人の命は救われるでしょう。だけど、一方ではその技術が不死に関わる
部分に及んでいくと、それは人間の「生きる」という価値を崩壊させることに
なるでしょう。
だから、再生医療は病を克服することができる技術だからといって、ただ単に
賞賛するわけにはいかないと個人的には思っています。


生まれてきたのも運命、死ぬのも運命、病にかかるのも運命なんて、そんな
「運命」って言葉がなくなってしまう時代が来るのでしょうか。
そんな「運命」をも変えられるのではないかと、信じて挑戦している人間が
少し怖くなるときがあります。


最後に、せっかくライブドアのネタを出したので、もう一つ。ライブドア
言えば、株式ですごく注目を集めましたよね。さすがに、今回のニュースで
今日の株式市場では売り注文が殺到したようですが、基本的には信じられない
位のペースで株価の上昇を遂げてきた企業ですよね。
そんな株価…右に表示してある福田麻由子の株価が12月29日以来
11連騰中(笑)