悔しいよ、本当に悔しい。だから誓うよ

サクレ・クール聖堂(パリ、フランス)

〝さっきの…あれ、うそ。
やっぱり怖いよ。
やっぱり怖いし、悔しいよ。
もう、歩と夏祭りにいけない。
もう、歩の誕生日にお祝いは言えない。
歩とクリスマスが迎えられない。お正月が迎えられない。
歩の卒業式も、歩のセーラー服も、歩の振袖姿も見られない。
悔しいよ…
本当に悔しい。〟

ボクの中でのNo.1ドラマ「ラストプレゼント〜娘と生きる最後の夏〜」
第8話の中での明日香のセリフ。


近頃の日記は暗めのテーマでばかり書いている気がしますが、今日も決して
明るくない話題を書きます。別にラストプレゼントとは関係ありません。


悔しいよ、本当に悔しい


今のボクの心のどこかにある気持ち。大切に持っておきたい気持ち。
そして、この時期と8月に決まって湧いてくる気持ち。


ボクの昔の夢、というか厳密に言えば今までの人生の中で唯一ちゃんと持った
自分の確固たる夢。それは「甲子園に出ること。」
でも、達成できなかった。というか「甲子園に出る」なんて言えるような
レベルではなかった。3回戦で負けたし。


だけど、甲子園に出ることはボクの夢だった。だから、この時期、そして8月は
テレビ放送で甲子園を見るたびに、高校時代の部活について考えてしまう。


別に、自分が精一杯の努力をして、いま振り返っても納得できるような努力を
していればきっと悔しくないと思う。だけど、今ボクはとても悔しい。
後から悔いる。後悔そのものだ。


当時のボクは、当時のボクなりに精一杯やっていた。それは今でも思う。
だけど、方向性を間違えていた。当時のボクはあまりにも無知すぎた。
いまならもっと頑張れたのではないかと思ってしまう。
もちろん、人間は成長する。だから過去を振り返ったときに、今の自分なら
できたのに!なんて思うことはいくらでもある。
でも、おそらく当時の自分が本当に限界まで精一杯やっていれば、
そんなことは思わないんじゃないかと思う。はっきり言ってボクにはそんな
経験が無いから実感として分かるわけじゃないけど。


何かの物事に対して限界まで精一杯やれなかったときに、その妥協して
しまった部分に対してボクはとても悔しさを覚えてしまう。
そう、甲子園に出れなかったことが悔しいんじゃない。頑張れなかった
自分が悔しいんだ。


…3年後…


ボクは新たな「夢」といえるかもしれないようなものを持ちかけていた。
それはパイロットになること。ボクはとても旅行が好きだ。ボクは旅行では
決まって飛行機を使う。まぁ行くところが遠いからってだけだけど。
だから、パイロットになって何百人という乗客の気持ちを運びたいと
本気で思うようになっていた。
でも、ボクは視力がかなり悪かったため、パイロットに応募することすら
できなかった。


本当に悔しかった。


まだ「夢」と言えるほどのことじゃなかったけど、それに近いものはあったから。
それに挑戦もさせてもらえない。甲子園の場合は、挑戦はできた。でもその
挑戦する過程で悔しい思いをした。今回は、そんな悔しい思いをすることすら
できない。ただただ、挑戦できない悔しさを覚えるだけ。


だから…
悔しいよ、本当に悔しい


いまボクは新しい夢を持ちかけている。ここには書けないけど、挑戦できる
夢だ。
もう悔しい思いをしたくない。


一昨日の日記で、平原綾香の「誓い」の歌詞の一部を抜粋したが、
その中に
「たどり着くまで そのときまではきっと あきらめないから」
というのがある。人間は弱い。だから『「絶対に」あきらめない』なんてことは
できない。だから『あきらめないで「頑張る」』んだ。だから
『「きっと」あきらめない』んだ。
そして、辛いとき、苦しいとき負けそうになってしまう自分がいるから、
それに負けないように、自分の意思を確かに持つために
【誓う】んだ。


だから誓うよ。もう悔しい思いなんてしたくない。妥協なんてしないよ。