引き篭もりは日本の文化?

ハンガリーの国会議事堂

あまりの疲労から19時間睡眠を
してしまい、ちょっと凹みつつ日記を。


ブリュッセルのホテルで同室になった
イタリア人と会話した。ボクが既に
イタリアに2回、それも合計すると1ヶ月以上滞在しているということで
結構気が合い、話が盛り上がった。


そのイタリア人は日本には来た事がないが、ドキュメンタリーで色々と
日本の事は見たと言っていた。東京はダイナミックだとか、漫画は
素晴らしいだとか。
その話の中でイタリア人が
「引き篭もり、引き篭もり」
と楽しそうに連呼していた。どうも引き篭もりが日本の文化みたいな
ものとして紹介されている一面があるらしい。日本の深刻な社会問題として
紹介されていたならば、きっとそんな楽しそうにはしゃべらないだろう。


なんかそう思うと、ホント報道って適当だなって思う。というか、適当
というよりは、その国も文化などが作り出す価値観のメガネをかけて
他国の文化や問題を見てしまうから、正しく報道されにくいというか。


でも、その「正しい」とか「悪い」とかを決めるのは個々人の価値観。
多数の価値観が一致したときに、それは一種の常識となる。例えば
「人は殺しちゃいけない」
とかね。
だから、引き篭もりを「問題だ」と捉えるのも、一種の「文化的」な
ものとして捉えるのも、もしかしたら価値観というか国民性みたいな
ものが反映されるのかもしれないなぁって思った。


そして、少し話は脱線するが、日本人の多くは引き篭もりの報道などを見て
「あぁ、不幸な人生だな、引き篭もりを脱することができればもっと楽しい
人生が送れるのに」
というようなことを感じることだろう。
これと似たような感じで、例えば世界の貧しい国の人たちに対して
「あぁ、可哀想だな」
って思うだろう。
でも、ボクはこれは間違いだと思う。もちろん、引き篭もりは問題だと
思うし、解決しなきゃいけないと思う。また、世界の貧困は問題だし、
解決すべきだと思う。だけど、それを見て、
「不幸だな」とかとかいうのは違うんじゃないかな〜って。
もちろん、誰の目にも明らかに幸せでない人はいる。


だけど、基本的に幸せっていうのは本人が決める問題であり、
食べるものが少なくたって、その人たちはその中で幸せに生きている
わけだし、文明が未発達ですごい不便そうな生活を送っていても、その人
たちはそれの中で幸せに生きているわけだし。
だから、そういうのを見て、勝手に自分の中で「幸せかどうか」なんて
考えることは余計なおせっかいなのかもしれない。
ボクも報道などを見て
「可哀想だな〜」
とか思うことはある。もちろんそれで食糧不足とか貧困を解決していくのは
大切なこと。だけどそれで「幸せにしてあげなきゃ」と考えてしまうのは
間違い。


すごくあいまいな事を言って申し訳ありませんでしたが、先月の旅行での
会話からこんなことをちょっと考えたりしました。


さて…いまから録画しておいた今日の白夜行を見なきゃ!!昨日、録画して
おいた5〜7話を見たけど、本当に山田孝之最高だったし。
ホント心が痛みます。