努力で才能は超えられない

まぁ、なんとも悲観的なタイトルを書きましたが、言葉の通り、ボクはいくら
努力をしても、才能は超えられないと思っています。
これは、短いながらもいままでの人生、特に野球において実感しました。


明王のトーマスエジソンが残した言葉に「1%のひらめきと99%の努力」
というものがあるが、この場合のひらめきは才能ではないかと思っている。
とすると、やっぱり1%の才能は必要なわけです。


1%の才能くらいはあるだろうと思われるかもしれないが、本当にそうなのか?
勝手に1%は小さい値だと思い込んではないだろうか?「1%しか」では
なくて「1%も」かもしれないのだ。


「才能がない人が努力をしても限界がある。才能がある人には勝てない。
才能がある人が努力をして初めて一流になれる」
と思っている。
まぁ、努力をすれば才能に限りなく近づくことができるとも思っていますが。


もちろん、必死に努力することで、気付かなかった才能が花を開いて、一流
になれるかもしれない。そういう話も聞く。だけど、それはめずらしい例で
あり、そのようなケースになることは確率的にはごくわずか。



別に、ボクは努力で才能を超えられないことを悲しいことだと思っていない。
むしろ、何でも努力すれば高みに達することができると考えているほうが
馬鹿げている。ポジティブ過ぎだ。
才能に恵まれていないことを自覚しながらも必死に頑張ることは、それは
それで楽しいし、大切なことだからである。
それに、ほとんどの人がそういう人生を送っていると思う。そして、みんな
その人生を自分なりに楽しんでいる。


もちろん、自分に宿る才能というものを見つけて、それを伸ばして、その分野
で一流になってみたいという願望はある。
でも、いまボクは自分自身の才能が分からない。ま、分かっている方が
おかしな話な気はしますけど…


ボクは、自分自身にいわゆる「天才」と呼ばれるような、類稀な才能がない
ことは分かっている。だから、才能が無いなりに頑張りたい。
そして、少しでも自分の人生を充実させていくことができればと考えている。